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| ――フランスでの生活は慣れましたか? 北川「基本は日本にいて、テストやレースごとに向こうにいる、という予定でいたんですが、考えてみたら鈴鹿300km まではずっとフランスにいたし、これから最終戦までまた1ヵ月半はフランスに、という割合です。でも食べ物も口に合うし、あまり米を食べない国ですが、僕あまりゴハンを食べなくても大丈夫みたい、これはうれしかったですね。レースやテストがない日はトレーニングして、日本にいたときよりもコンディションはいいくらいです」 |
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| ■予想外のアクシデントとの戦い ――シーズンの開幕は、オランダのアッセン500kmでした。 北川「いま思えば、このレースがいちばん緊張したというか、プレッシャーがありましたね。やっぱり日本での実績と僕のライダーとしての能力を評価してもらってチームに呼んでもらっているので、呼んでもらったからにはいい仕事をしたい、という気持ちでした。でも、耐久といえば鈴鹿8耐くらいで、本職だったスプリントとは違う走り方をしなきゃならない。テストではタイムも出ているし、自信もあるんだけれど、実際に始まってみないことにはわからない、そういう不安でした」 ――複数のライダーでマシンを使うわけですよね。マシンのセッティングとかは、どう進めるんですか? 北川「選手権ではバンサンと2人で、24時間ではもうひとり加えて3人で1台のバイクを乗るわけです。当然、僕好みのセットにしてもらってガンガンとタイムを出していきたいんですが、耐久はそういうレースじゃない、というところで頭を切り替えなきゃいけない。もちろん、バンサンのほうがコースに詳しいし、耐久レースのキャリアもあるので、セッティングがぶつかり合ったらバンサンの好みを優先して、僕がそれに合わせる、という形を取りました。いつでもトップタイム、コースレコードを、というレースじゃないんだ、って自分で言いきかせましたね。大人になりました(笑)」 ――それでも、開幕のアッセンではポールtoフィニッシュで優勝できた。開幕前から「ドリームチーム」と呼ばれて、その評判どおりのレースができたわけですね。 北川「普通に走れば勝てる、という体制だし、それはぜんぜん心配してませんでした。ただ、耐久ですから、思わぬトラブルとの戦いをしなきゃならない。開幕戦で言えば、順調にバンサンがトップで帰ってきてくれて、僕の走行中に雨が降り始めた。ギリギリまでスリックタイヤで引っ張って差をつけて、レインタイヤ交換とライダー交代を一緒にする、という戦術でリードを広げられましたが、2位を2周遅れにしても、最後の最後でガソリン警告灯がついて、ガス欠の心配しながらのチェッカーでしたからね。こういう思ってもみなかったアクシデントが一番の敵でした」 |
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――それで、24時間走って20秒差という、史上まれに見る接戦で2位に終わってしまった。 北川「レースが終わって数日後にマシンを整備していたら、そこでサスペンションのトラブルが発覚したんです。『ケイ、やっぱりリヤサスがおかしかった』と。ほらやっぱりな! って僕の感覚の正しさにはホッとしたんですが、レースはやり直すわけにはいかないですからね。そういうレースで、2重3重に悔しかったレースでしたね。今になって考えれば、まだチームとコミュニケーションが上手くとれずに、状態をきちんと伝え切れなかった悔しさもあるんですよ。今だったら、もっときちんと伝えられるし、レース前にきちんとチェックできたんじゃないかと思うんです」 |
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