■フランスでの新生活

――お帰りなさい。世界耐久チャンピオン、おめでとうございます。
北川「ありがとうございます。今年、目標としていたことのひとつを達成できて、ホッとしているというか、やっぱりうれしいです。もちろん耐久は、まだ選手権外のボルドール24時間と、選手権最終戦のイタリア・バレルンガ200マイルが残っているので、まだ気は抜けませんけどね」

――今年からフランスに活動の拠点を移されて、新しい世界ということで不安はありませんでした?
北川「去年04年シーズンに、ル・マンとボルドールの24時間耐久に出させてもらって優勝したことで、今年の活動を始める前からチームのみんなに認知されていたのが大きかったですね。まったくゼロからでは、最初からもっと戸惑ったと思います。それでも、やはり言葉も通じない、初めてのチームで1シーズンを一緒に戦うというのは、それなりのプレッシャーはありました」
――チームはフランス語ですか?
北川「そうです。メカニックたちは僕とのコミュニケーションで英語を使ってくれますが、やっぱり日本人同士のようには意思を伝えられません。それでも、マシンの症状やセットアップを伝えるときは、英語と身振り手振り、これは世界共通ですよ(笑)。それと、ヘルパーとして現地にいる日本人スタッフに通訳としてついてもらっているので、それが頼りですね。サーキットで一緒に食事することもありますが、やっぱりスタッフ同士がフランス語でしゃべってると、いまだに何を言ってるのかサッパリです(笑)」

――ヨーロッパのファンに徐々に人気が出てきていますね。
北川「耐久にフル参戦する日本人ということで、きっと珍しいんでしょう(笑)。それでも、テストやレースごとに、ファンだけじゃなくて、他のチームのスタッフやライダーに『一緒に写真撮ってくれ』っていわれたりサインをねだられたり、少しずつ認知してもらってきているみたいです。なんだかうれしいです」
――フランスでの生活は慣れましたか?
北川「基本は日本にいて、テストやレースごとに向こうにいる、という予定でいたんですが、考えてみたら鈴鹿300km まではずっとフランスにいたし、これから最終戦までまた1ヵ月半はフランスに、という割合です。でも食べ物も口に合うし、あまり米を食べない国ですが、僕あまりゴハンを食べなくても大丈夫みたい、これはうれしかったですね。レースやテストがない日はトレーニングして、日本にいたときよりもコンディションはいいくらいです」
ル・マンでトリオを組んだ3人と。左から
マチュー、ステファン、そして北川。
ハチマキは、日本から観戦に来た
ファンから差し入れでもらったもの
いちばんプレッシャーがあったという
開幕戦アッセン500km
 
■予想外のアクシデントとの戦い

――シーズンの開幕は、オランダのアッセン500kmでした。
北川「いま思えば、このレースがいちばん緊張したというか、プレッシャーがありましたね。やっぱり日本での実績と僕のライダーとしての能力を評価してもらってチームに呼んでもらっているので、呼んでもらったからにはいい仕事をしたい、という気持ちでした。でも、耐久といえば鈴鹿8耐くらいで、本職だったスプリントとは違う走り方をしなきゃならない。テストではタイムも出ているし、自信もあるんだけれど、実際に始まってみないことにはわからない、そういう不安でした」

――複数のライダーでマシンを使うわけですよね。マシンのセッティングとかは、どう進めるんですか?
北川「選手権ではバンサンと2人で、24時間ではもうひとり加えて3人で1台のバイクを乗るわけです。当然、僕好みのセットにしてもらってガンガンとタイムを出していきたいんですが、耐久はそういうレースじゃない、というところで頭を切り替えなきゃいけない。もちろん、バンサンのほうがコースに詳しいし、耐久レースのキャリアもあるので、セッティングがぶつかり合ったらバンサンの好みを優先して、僕がそれに合わせる、という形を取りました。いつでもトップタイム、コースレコードを、というレースじゃないんだ、って自分で言いきかせましたね。大人になりました(笑)」

――それでも、開幕のアッセンではポールtoフィニッシュで優勝できた。開幕前から「ドリームチーム」と呼ばれて、その評判どおりのレースができたわけですね。
北川「普通に走れば勝てる、という体制だし、それはぜんぜん心配してませんでした。ただ、耐久ですから、思わぬトラブルとの戦いをしなきゃならない。開幕戦で言えば、順調にバンサンがトップで帰ってきてくれて、僕の走行中に雨が降り始めた。ギリギリまでスリックタイヤで引っ張って差をつけて、レインタイヤ交換とライダー交代を一緒にする、という戦術でリードを広げられましたが、2位を2周遅れにしても、最後の最後でガソリン警告灯がついて、ガス欠の心配しながらのチェッカーでしたからね。こういう思ってもみなかったアクシデントが一番の敵でした」
チームのピットワークも完璧だった。
ル・マン24時間で

夕方スタート、夜中ゴールの
アルバセテ8時間。
これで開幕2戦連続
ポールtoウィン
――その次は、選手権の1レースではないんですが、チームにとっても重要なル・マン24時間でした。
北川「ル・マンも、レース前のテストでバンサンが転んで足を骨折して、出られなくなってしまった。これも予想外のアクシデントでしたね。ル・マンには、去年の選手権チャンピオンチームであるGMT94ヤマハが出てくるので、言ってみればシリーズよりも負けられない、重要なレースだったんです」

――チームのサードライダーであるマチュー・ラグリブと、日本でもおなじみのステファン・シャンボーンと出場したんですよね。
北川「ステファンは去年のル・マンでもチームを組んだし、ライダーとしてのパフォーマンスも心配ない。それで公式練習から順調に行ったんですが、ウィークに入って雨が降り始めて、どうもマシンのフィーリングがおかしかったんです。それで、メカに症状を伝えてチェックしてもらったんですが、何も問題はない、という回答だった。マチューとステファンも大丈夫だ、って言うし、なんだなんだ、と。それでこのマシンの状態ではスタートからスパートできない、ということで、スタートライダーをマチューに譲ったんです。そうしたら、マチューがどんどんタイムを出してくる。あれ? 僕の感覚がおかしいのか? と不安になりました」

――それからシャンボーンが走り終わったら、北川さんと同じ意見になったんですよね。
北川「そうなんです。予選ではOKといっていたステファンも、これではうまく走れない、と言い出してしまって・・・。でもレースはもう始まってしまっているから、どうしようもない。僕の番になってもやっぱりフィーリングはおかしくて、ずっと僅差でトップ争いをしていたGMTに競り負けてしまったんです」

――それで、24時間走って20秒差という、史上まれに見る接戦で2位に終わってしまった。
北川「レースが終わって数日後にマシンを整備していたら、そこでサスペンションのトラブルが発覚したんです。『ケイ、やっぱりリヤサスがおかしかった』と。ほらやっぱりな! って僕の感覚の正しさにはホッとしたんですが、レースはやり直すわけにはいかないですからね。そういうレースで、2重3重に悔しかったレースでしたね。今になって考えれば、まだチームとコミュニケーションが上手くとれずに、状態をきちんと伝え切れなかった悔しさもあるんですよ。今だったら、もっときちんと伝えられるし、レース前にきちんとチェックできたんじゃないかと思うんです」

――選手権第2戦・アルバセテ8時間耐久は、夕方スタート、夜中にゴールというレースでしたね。
北川「スペインの南にあるサーキットで、ほとんどアフリカ。ですから気温が35℃とか40℃になってしまうので、涼しい時間帯、ということでその時間になったみたいです。それでも僕の1回目の走行が夜7時過ぎで、気温30℃ですからね(笑)。ここでも、ポールタイムをバンサンが出して、僕がレース中のファステストラップを出して、というレースができました。それで2位を3周遅れにした終了間際に、今度はエンジンのパワーがなくなってしまって、うわぁ壊れたらどうしよう!と。本当に最後まで順調に行くことって、難しいんですよね」

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