■日本での久しぶりの2レース

――それからは鈴鹿300kmと鈴鹿8耐にS.E.R.T.の一員として「来日」しました。去年までのこのレースと、やはり意識は違いましたか?
北川「やっぱり日本のファンのみんなの前で走れるというのは、すごい楽しみですよ。ル・マンなんかでも、後から見たら、僕のホームページにリアルタイムでみんながどんどん書き込んでくれていて、日本では真夜中なのに、ずっとホームページを見ていてくれたり、そういう応援はずっと感じていましたから」

――それでも、鈴鹿300kmではテストもなしで6位入賞。ペースカーで上位陣との差を広げられてしまいましたけど、あれがなかったら表彰台も狙えたのではないでしょうか。
北川「それでも300kmは事前テストなしで、土曜が雨だったでしょう。日本のレベルはそんなに甘くないですよ。それでもバンサンが鈴鹿を走ったことで、8耐へのデータ取りができたのは収穫でした。8耐前に予定されているテストも、チーム本拠地がフランスにあると、そうそう来日できないですからね。僕は日本にいたんですが、他のチームがどんどんテストをやっていて、たまらずに走る予定もないのに駆けつけましたからね」

――そして8耐では・・・。
北川「はい、僕が転んでしまいました」


――予選まではバンサンが毎日のように転んで、決勝で北川さんが・・・。
北川「そうなんですよ。雨が降り出しての走行で、気をつけてはいたんですが、白線に乗ってしまって転んじゃったんです。予選まではバンサンが2回? 3回? か転んで、その都度チームがしっかり修復してくれた。それは心配なかったです。でも、やっぱり転んじゃダメなんですよね・・・」

――バンサンはスペシャルステージでも転んで、その次に北川さんが出走する番でした。スペアマシンで行くのかな、と思ったら、チームはアッという間にマシン修復しましたからね。あの速さはスゴかった!
北川「普通、転んだマシンを組み上げて走るのって、やっぱり気分的にちょっと不安があるんです。でもウチのチームはそれがない。ほんの30分前に大転倒したマシンなんですが、修復してなんの心配もなく走れるんです。僕、スペシャルステージで2分9秒台ですからね、これはスゴいですよ。さすがは耐久のプロチームだって感心してしまいます」

――耐久は、総合7位。いくつもアクシデントや転倒があったレースで、スズキ最上位でした。
北川「スズキ最上位というより、世界選手権レギュラーチームの中で最上位だったのが大きかったですね。同じくレギュラーチームのヤマハ・オーストリアが9位で、またポイント差をつけることができた。去年のS.E.R.T.は、鈴鹿8耐までランキングトップできていて、鈴鹿は転倒して34位に終わってしまった。それで、総合8位に入ったGMT94に逆転されて世界タイトルを失ったんです。それを考えると、最低限の結果は残せた、と思いました」
第4戦オッシャースレーベンでのグリッド。
右端のスタートライダー、バンサンが
開始20分ほどで転倒してしまう
走りの確実性に磨きがかかった、
という北川の走り
 
――その8耐のわずか2週間後がオッシャースレーベン24時間だったんですよね。考えてみればすごいスケジュールですごい距離と時間を走ったんですね。
北川「そうなんですよ、いかにシンドいか(笑)。それで、ドイツの24時間ではまたバンサンが転んで、左手甲を骨折してしまったんです」

――開始早々にオイルに乗って、トップの2台とも転んでしまったんですよね?
北川「そうなんです。それですぐにペースカーが入って、バンサンが戻ってきたら、マシンはそうダメージはなかったんですが、バンサンが左手をやってしまった、と。それで、残りの時間はマチューと2人で走らなきゃいけない。残りといっても、あと23時間ですからね(笑)。それでもとにかくやるしかないんですから、マチューと1時間ずつ交代して、4回4時間ずつ、計8時間くらい走ったのかな。体力は意外と平気だったんですよね。この頃で、2位を3ラップくらい離していたと思います」

――8時間といえば、午後3時スタートだから、もう夜の11時ですよね。体力的にキツくなる時間帯だったんじゃないですか?
北川「それが、そうでもなかったんです。マチューと集中していこう、って話していたし、マシンも何のトラブルもなくラクに走れる仕様に仕上がっていた。もちろん、疲労はたまり始めてはいるんですが、気合が入っているからまだ平気だった。そうしたら、チームがこの後の僕とマチューの体力を考えて、バンサンを一度走らせよう、ということになって、バンサンは麻酔を打ってコースインしていったんです」

――骨折を麻酔で耐えるんですか! 満足には走れないんですよね?
北川「それが意外とちゃんと走れるんですよ! 本当にすごいです。それから、またバンサンを加えて3人で残りを走って、2位を走っていたヤマハが転んだこともあって、セーフティに優勝することができました。最後も朝方に雨が降り始めて、本当に順調には行かない。ポールtoウィンで勝ったといっても、楽勝とかそういうイメージはないですね。いつもなにかアクシデントやトラブルの芽がある。そこをしのいで優勝してきた、というイメージでしたね」

――勝ってチャンピオン、という終わってみれば最高の24時間耐久だったんですね。
北川「去年2回、それと今年のル・マンを入れて24時間耐久は4回も走りましたが、いままでで一番キツかった。それだけにうれしかった! でも終わってみたら、3人で走る24時間ってラクなんかなぁ、ってマチューと言ってましたね。我ながらどんどんキツい状況に慣れてしまっているのがコワい(笑)」
第4戦オッシャースレーベン24時間には、
日本から応援も駆けつけた。表彰台下に
日本から持ち込んだ横断幕を下げてもらった
■ボルドール24時間耐久でリベンジ!

――まだボルドール24時間耐久と最終戦が残っていますが、一息つけましたか?
北川「チャンピオンを獲ったことでやっぱり一区切りはつきましたが、もちろん勝って終わりたい。あとやるべきことは、ボルドールでGMT94をやっつけて、最終戦も勝ってシーズンを終わること。今年のもうひとつの目標だった鈴鹿8耐優勝ができなかったので、ヨーロッパでの選手権4戦全勝は成し遂げたい」

――北川さんは来年の3月で39歳。元気ですね、と言うのはおかしいけれど、ますます進化している気がします。
北川「本当に、この年齢になって新しい走る場所を用意してくださったスズキに、いくら感謝しても感謝し足りないですね。世界タイトルを奪還したことで、少しは恩返しができたと思います。あとはGSX-R1000のスゴさですよね、このおかげで僕らはチャンピオンを獲れたと思っています」
チャンピオン獲得の報告にスズキ本社を
訪れた北川圭一選手。写真は
左から芳賀・海外営業本部中国部部長、
北川選手をおいて
伊藤・海外営業本部米州欧州部部長、
早崎・海外営業本部企画部グループ長

――GSX-R1000が今シーズンからオールニューになって、やはり不安はあったんですか?
北川「どのバイクでもそうですが、デビューシーズンと言うのはいろいろ不具合やトラブルが出て当然なんです。しかもGSX-Rは、市販車で初めてチタンバルブを使っていたり、車体全体でギリギリの軽量化を進めている。これって、耐久性にすごく不安だと思っていたんですが、それがない。だって24時間走って、ほとんどトラブルがないんですよ? 他のチームは、何かしらトラブルを抱えてピットに入ったり、ペースを上げられないのに、ウチはレーシングスピードを保ったまま24時間を走り切る。それってすごいことですよ」
 
――その甲斐あって、ヨーロッパではすごくGSX-Rの評価も高い。街中でもたくさん見ますしね。
北川「レースでがんばって、GSX-Rが評価されてバイクが売れる。それはすごいいい循環ですよね。特に今年は、GSX-Rが誕生20周年ということで、ヨーロッパのディーラーやショップでもすごく注目が高い。その中でタイトルを決められた、というのもうれしいことですよね」

――このあと、すぐにボルドールへのテストが始まります。日本のみなさんにひとことお願いします。
北川「日本からたくさん応援をもらっているおかげで、世界チャンピオンになることができました。決して僕ひとりでできることではないし、チームのみんなと勝ち獲ったタイトルですから、その意味でもすごくうれしい。あとはボルドールと最終戦を勝って、チャンピオンチームとして恥ずかしくないシーズンで終わりたいです。最後まで応援、よろしくお願いします!」
本社を訪れた北川選手と社員のみなさん。記念にパチリ
 
写真提供/ライディングスポーツ誌 
このインタビューは8月30日に行われました

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